水無瀬神宮 由緒2
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当宮は御祭神後鳥羽上皇が御造営になった水無瀬離宮の跡で、往時は桜・山吹。菊の名所として知られ、上皇も屢々行幸・歌合せ・蹴鞠・狩猟・刀剣鍛作等も行われた。然るに承久の変により、後鳥羽天皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐(後に阿波)に遷御、それぞれの地で崩御、後鳥羽上皇は崩御になる前、この離宮を管してひたすらその還幸の日をお待ちしていた水無瀬信成父子に左右の御手掌を捺した御置文を下され、永く後生の菩提を弔うべく仰せくだされたので、この離宮跡に聖廟を建て、上皇の御影を奉安して、御慰霊申し上げた。
世に「水無瀬御影堂」と称し、明治の初年迄仏式混とうの行事が行われていたが、明治六年改めて三上皇を合祀、官幣中社に列せられ、昭和十四年官幣大社に昇格、神宮号を賜った。
戦後は神社本庁所属の別表神社として今日に至る。
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