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11.07.14.天龍寺(新宿4丁目)山門

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写真: 11.07.14.天龍寺(新宿4丁目)山門

写真: 天龍寺(新宿4丁目)山門 写真: 新宿御苑(内藤町)

mixiアルバム「天龍寺」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000047172449&owner_id=32815602
2012年01月11日 05:49

11.07.14.――
●護本山 天龍寺。
「新宿区新宿」内、現代地図10。
http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=1489222400&owner_id=32815602

曹洞宗の寺院。天竜寺とも記される。天正19(1591)年創建。かつては牛込付近にあり、上野の寛永寺が江戸城の鬼門鎮護の役割をしていたのに対し、天龍寺は裏鬼門鎮護の役割を帯びていた。
天和3(1683)年に現在地へ移転。
新宿四丁目交差点の近くにあり、繁華街の只中で周囲をビルに囲まれた寺院である。
(高島屋 タイムズスクエアから見下ろせるw)

天龍寺の前身は遠江国にあった法泉寺。法泉寺は徳川家康の側室である西郷局(於愛の方)の父戸田忠春の菩提寺であった。
西郷局が後に2代将軍となる秀忠を産んだことから、家康の江戸入府に際し遠江国から現在の牛込納戸町・細工町付近に移された。同時に名を天龍寺と改めたが、これは法泉寺の近くを流れていた天竜川に由来している。天和の大火により焼失し、現在地へ移転した。
江戸三名鐘の一つとされる梵鐘、“時の鐘”が現存し、大晦日には除夜の鐘でその音色を聞くことが出来る。

※かつては境内に池があり、渋谷川(穏田川)の源流のひとつだった(湧水源。2011年現在、地下水が豊富である)。
内藤屋敷の庭園にある玉藻池自体の湧水はわずかしかなかったとか。そのかわり、池からさらに200mばかり北の地点に玉川上水の水番屋があり、人工の水路を通じてここから大量の水が来ていた。水番屋では市中配水量の調整を行っていて、余った水は全てこちらへ排水していたためである。

・天龍寺の時の鐘
元禄13(1700)年、5代将軍綱吉の側用人として重用された牧野成貞により寄進された。
現在の梵鐘は3代目で、明和4(1767)年鋳造。寛永寺、市谷亀岡八幡宮の鐘と並び江戸三名鐘と称された。
※江戸の外れに存在したため、通常より早く鐘を鳴らし、内藤新宿で遊行する人々に“追出しの鐘”と呼ばれた。

・天龍寺のやぐら時計
鐘を突く時刻を知るため、牧野成貞により同時期に寄進されたという。
やぐら型の台に載せられており、上部には鐘、下部には歯車を回すための錘がある。時計の文字盤は明治以降の改修により24時間制のものとなっている。




父不詳(戸田? 戸塚?)。母は西郷氏。

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