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11.03.14.牛嶋神社(墨田区向島)

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写真: 11.03.14.牛嶋神社(墨田区向島)

写真: 牛嶋神社(墨田区向島) 写真: 埼玉屋 小梅(墨田区向島)

mixiアルバム「牛嶋神社 (墨田区向島1丁目)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000050701592&owner_id=32815602
2012年02月16日 23:06

※“牛嶋神社”という社名はここにしかありません。

11.03.14.
●牛嶋神社――
旧称、牛御前社 → 牛島神社 →。
御祭神、須佐之男命(すさのおのみこと) ・天之穂日命(あめのほひのみこと) ・貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)。
御由緒、牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の隅田公園に隣接する墨田区向島1丁目4番地に鎮座している。古くは本所区向島須崎町七十八番地(向島 長命寺の近く)にあったが、関東大震災後隅田公園の設計の都合上昭和の初めに現位置へ再建された。
明治維新前は本所表町(現 墨田区東駒形)の最勝寺がその別当として管理していたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を「牛嶋神社」と改め郷社に定められた。
本所総鎮守。
貞観2(860)年、慈覚大師が御神託(一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会った際に、「わがために一宇の社を建立せよ、若し国土に騒乱あらば、首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わし、天下安全の守護たらん」との託宣)によって須佐之男命を郷土守護神として勧請、創祀後、天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨がその神霊を併せてお祀りし「王子権現」と称した。例祭日9月15日は、初めて祭祀を行った日と伝わる。

治承4(1180)年9月、源頼朝が大軍をひきいて下総国から武蔵国に渡ろうとした時、豪雨による洪水のため、渡ることが出来なかった。その時、下総権介平常胤(しもうさごんすけ たいらのつねたね。坂東八平氏のひとつ。千葉に住む下総権介だから千葉介常胤と呼ばれ、嫡子から「千葉氏」を名乗る。)が祈願し、神明の加護を受け全軍が無事に渡ることができたという。頼朝はその神徳を尊信して翌養和元(1181)年に社殿を創建し、常胤に命じて多くの神領を寄進させた。
天文7(1538)年6月28日、後奈良院より「牛御前杜」との勅号を賜っている。
永禄11(1568)年11月、北条家臣、大道寺駿河守景秀が神領を寄進している。


ここの撫牛風習は、江戸時代から知られたようだ。自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおるというもの。牛島神社の撫牛は体だけではなく、心も治るというご神徳があると信じられている。
また、出産後によだれかけを奉納し、これを赤ん坊にかけると健康に成長するという言い伝えも。

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