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パゴダ薬師堂(台東区。都営上野恩賜公園)

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写真: パゴダ薬師堂(台東区。都営上野恩賜公園)

写真: 10.11.11.大佛パゴダ ・上野大仏(台東区。都営上野恩賜公園) 写真: 花園稲荷神社(台東区。都営上野恩賜公園)稲荷坂

mixiアルバム「上野山2 大仏様 東照宮/地名」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000005452904&owner_id=32815602

2010年12月04日 14:33
10.11.11.
●上野山1〜を読んでくれた方で、上野が好き、散歩が好き、歴史が好きという方は、きっと歩き方が変わるんじゃなかろうか?などと某は勝手に思ったりw
近辺の地名等を上げてみる(ちょっち離れた所も)。
「上、野」「下、谷」
「鶯、谷」「谷、中」
「入、谷」「中、里」
「峡、田(はけた)」
「小、台(おだい)」
「白、山(はくさん)」
「千駄(ヶ)、谷」
「松(ヶ)、谷」
「尾、久」「台、東」
「町、屋」「田、端」
「向(ヶ)、丘(むこうがおか)」
地名などは大概その土地に謂れを持っていて。まあ必ずしも地理ではないけれど。某はそれを考えるだけでワクワクしますw
なんで?な地名とか。
「根、津」「根、岸」
「日暮、里(にっぽり)」
「三河、島(三、河島?)」
まあ当然調べてますけどw
「宮城」「橋場」
「日本、堤」
分かりきってる
「春日(春日局)」
「道灌山(太田道灌)」
「江北」「城東」
なども。
m(_ _)m──閑話休題。


1、上野大仏──
現在の東京都台東区上野恩賜公園内に造立されていた大仏。像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。
度重なる罹災により損壊し、現在は顔面部のみレリーフとして保存されている。
所在地は上野精養軒に隣接する大仏山と呼ばれる丘の上。薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設されている。
寛永8(1631)年、越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。
正保4(1647)年、地震により倒壊。
万治年間(1658〜1661年)、遊行僧浄雲が金銅像として再興(明暦年間(1655〜1658年)説アリ)。
元禄11(1698)年、公弁が露座であった大仏に仏殿(覆堂)を建立。
天保12(1841)年、火災により大仏、仏殿が損傷。
天保14(1843)年、堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復。
安政2(1855)年、安政大地震により、頭部破損。再び堀直央の寄進により修復。
明治8(1875)年、上野恩賜公園の整備にともない仏殿を撤去。露座にもどる。
大正12(1923)年、関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄。
昭和15(1940)年、軍需金属資源として顔面部をのぞく頭部、胴部以下が供出され消滅。
昭和42(1967)年、関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立。
昭和47(1972)年、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。

2、小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)──
皇族。官位は元帥陸軍大将大勲位功二級。
伏見宮邦家親王第8王子。妃は旧久留米藩主有馬頼咸の長女頼子で、頼子妃の母(嫡母)は有栖川宮韶仁親王王女、有馬韶子。

安政5(1858)年、仁孝天皇の猶子となり、親王宣下を受け純仁親王を号し、仁和寺第三十世の門跡に就任。慶応3(1867)年、復飾を命ぜられ仁和寺宮嘉彰(よしあきら)親王と名乗る。明治維新にあっては、議定、軍事総裁に任じられた。戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執った。

3、写真ではさっぱりわかりません。ごめんなさいorz
菱格子の塀で向こうが見えることから「透塀」と呼ばれています。上下に施された300枚もの彫刻には、上欄には山野の動植物、下欄には海や川の動植物が、どれも雌雄、陰陽の姿として生き生きと表現されてい……るんです。

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