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10.11.11.西郷隆盛像(台東区。都営上野恩賜公園)

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写真: 10.11.11.西郷隆盛像(台東区。都営上野恩賜公園)

写真: 西郷隆盛像(台東区。都営上野恩賜公園) 写真: 彰義隊墓(台東区。都営上野恩賜公園)

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西郷像は高村光雲、傍らの犬は後藤貞行作。鋳造は岡崎雪聲。発起人は吉井友美、宮内省より500円を下賜。

2011年01月31日 00:35
●藤田東湖曰く「わが志を継ぐ者は、この青年である」。飾り気のない素朴さ、正義感の強さを愛した。
●西郷曰く「われ先輩においては藤田東湖を推し、同輩においては橋本左内を推す」
●大村益次郎曰く「西郷は足利尊氏がごとき者」
●南洲遺訓「敬天愛人」(道は天地自然のものにして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり)



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さらに全国2万5千人余の有志の寄付金で建立。除幕式は西郷の死後21年を経た明治31年12月18日。

2011年01月31日 00:37
●2度の島流し。
●入水自殺経験。1857年継嗣問題に敗れ国へ帰るが、同志“月照”(経歴省略)の入国を許されなかった。心中し月照は死亡するが、西郷は息を吹き返す。
●主君島津斉彬(ナリアキラ)の急病死に、己も殉死しようとした。
●斉彬曰く「薩摩の貴重な宝」。



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「上野の西郷さん」は東京の観光象徴のひとつ。大事にせにゃいかんよ!

2010年12月14日 23:11
公開に招かれた西郷夫人、糸子女史は、「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」と腰を抜かし、また「浴衣姿で散歩なんてしなかった」といった意の言葉(薩摩弁)を漏らし周囲の人に窘められたそうな。
「銅像の顔が本人に似ていない」と解釈する説があるが、昭和50年代に鹿児島県下で小学生に無料配布されていた伝記読本『西郷隆盛』には、「亡夫は多くの人間の前に正装ではなく普段着で出るような礼儀をわきまえない人間ではないのに」という文脈で解説されている。
当時故人を顕彰する銅像の多くが正装で威厳に満ちたものだったのに対し、西郷の銅像は明治維新の元勲のものとしては、あまりに庶民的過ぎるもの。一時は朝敵とされた西郷の名誉回復の場でもあった銅像除幕で、予想とあまりにかけ離れた服装の銅像に対する驚きと落胆の気持ちの反映だった。
当初は皇居内に建てる案もあった西郷像の建造当時、朝敵となったことによる反対意見が根強かったことは無視できない。西郷への反感を持つ政治家が多かった時代、明治政府の官位による正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられる。(ウィキコピー。ちょい修正)
写真も絵画も1枚と存在しない西郷吉之助┐(-_-)┌ 体躯の情報は残っているそうだし、こちらも鹿児島の西郷像も近親がモデルならば…。光雲氏も建設委員らも“西郷の顔を知っていた”のだし。

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