豊国山 回向院・小塚原刑場跡(荒川区南千住)橋本左内墓所
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2011年02月24日 05:03
●橋本 左内──
越前国福井藩士。家系は足利一門のひとつ、桃井氏後裔。号は景岳。諱は綱紀。父は橋本長綱、母は小林静境の娘。実弟は明治における陸軍軍医総監・男爵の橋本綱常。著書には15歳の時に志を認めた『啓発録』がある。贈正四位。
越前生まれ。家系は足利氏の連枝・桃井氏の後胤。祖先が桃井より母姓を冒して橋本姓に改姓して以来、橋本を称する。
嘉永2(1849)年、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵、杉田成卿に師事し、蘭方医学を学んだ後、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷吉之助と交遊する。他に梅田雲浜や横井小楠らと交流。越前福井藩主の松平春嶽に側近として登用され、藩医や藩校明道館学監心得となる。
安政4(1857)年以降、由利公正らと幕政改革に参加する。14代将軍を巡る安政の将軍継嗣問題では春嶽を助け、一橋慶喜擁立運動を展開。幕政改革、幕藩体制は維持した上での西欧の先進技術の導入、日本とロシアの提携の必要性を説くなど開国派の思想を持ち、攘夷で揺れる幕末期では危険人物とされた。
安政6(1859)年、春嶽が隠居謹慎処分を命ぜられた後、南紀派で大老となった井伊直弼の画策により、将軍継嗣問題に介入したことが問われ小塚原刑場にて斬首となった。
享年26歳。戒名は景鄂院紫陵日輝居士。
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