12.04.10.稲付城/静勝寺(北区西赤羽)
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mixiアルバム「静勝寺・稲付城・亀ヶ池弁財天」コピペ――
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2012年04月11日 22:39
12.04.10.
●静勝寺――
自得山静勝寺。じとくざん じょうしょうじ。
曹洞宗。
本尊、釈迦如来。(脇侍、普賢菩薩 ・文殊菩薩)
開基、太田道灌。
開山、雲綱。
永正元(1504)年。禅の師 雲綱が道灌公の菩提を弔うため、彼が築城した稲付城跡に道灌寺として創建した。
明暦元(1655)年、道灌公の孫 太田資宗が堂舎を建立し、道灌(香月院殿春宛静勝大居士)とその父 資清(自得院殿実慶道真庵主)の法号に因み、寺号を自得山静勝寺と改めた。
太田道灌公の坐像(木像)は毎月26日のみ公開。
命日の7月26日には、16:00から法要、17:00から露店が開く。
●稲付城――
いねつけ。
稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる(不確定)戦国時代の砦跡。
永禄年間(1558〜1569)末頃から天正10(1582)年頃に普請されたとみられ、城の空堀が確認されている。
静勝寺に伝存する貞享4(1687)年の“静勝寺除地検地絵図”には境内や付近の地形のほか、城の空堀の遺構が道として描かれており、稲付城の城塁配置を推察できる。
この付近は鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代から関が設けられ、街道上の主要地点をなした。稲付城は、その街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地で、江戸城と岩槻城を中継するための山城として築城された。
道灌公の死後、この城には孫の資高が居城し、後北条氏に仕えた。その子 康資は岩淵郷5ヶ村を所領している。
●亀ヶ池弁財天――
昔、赤羽駅の西口一帯には大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。明治まで灌漑用溜池として利用されていたが、明治末に埋め立てられた。
言い伝えでは、一角の洞に無数の亀が棲んでいて、特に大亀は甲の周囲8〜9尺(2.4m〜2.7m)もあり、小さな子供はその上に乗って戯れたが、大人が行けば隠れてけっして出てこなかったと伝えられている。また伝説では、池に一対の大蛇が住んでいたとも。
また、“江戸名所図会”には、名所として太田道灌公手植えの五葉松とこの亀ヶ池が載っており、記述は、「亀が池、むかし、この池より霊亀出でけるより名付けられる」とある。
現在の亀ヶ池弁財天池はその亀ヶ池の名残で、中の島の祠は、かつて亀ヶ池の一角にあったもので鞘堂におさまっている。中にあった弁天像は静勝寺に祀られているが、その像を模した木像(一面八臂)が分祀されている。
この弁財天では、願いが叶ったらお礼の印に細い絵馬型の御札をかけることになっているようだ。
※現在の赤羽駅の西側周辺を、徒歩や車などで走行したことがある方。あの一帯が上り下りの激しい坂道だらけだとご存知でしょうw なるほど、あの勾配は、というカンジ。
地図は線画で申し訳ないが…。
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