2020_1213_142023 琵琶湖疎水 鴨川運河
琵琶湖から長等山をトンネルで抜けて山科盆地を流れ、さらに東山をトンネルで抜けて西に向かって京都盆地に達した琵琶湖疎水は三条大橋のやや北側で鴨川左岸に達し冷泉放水口から鴨川に放水されます。ここまでが1890年に開通した区間ですが、引き続き1892年から冷泉放水口の手前で南に向きを変え、鴨川、奈良街道と平行して伏見に向かう延長区間が着工され1895年に竣工しました。
この延長区間は鴨川運河と呼ばれています。1910年に開業した京阪電車は京都〜伏見間でほぼ琵琶湖疎水に並行して敷かれています。
アルバム: ◎こ)交通機関・鉄道・踏切(京阪本線)
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コメント (8)
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この運河、地図では三条あたりから七条まで見えませんねぇ、暗渠ということなんでしょうが、途中で京阪と交差しているようにも思えるのですが(三条〜四条間と七条付近で)
2020年12月25日 22:54 symrioz (0)
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SuzumeExpさん
☆ありがとうございます。2020年12月26日 06:32 キューチャン (36)
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ニエブラさん
☆ありがとうございます。2020年12月26日 06:32 キューチャン (36)
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kameさん
☆ありがとうございます。2020年12月26日 06:34 キューチャン (36)
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symriozさん
☆とコメントありがとうございます。鴨川と疎水を隔てる堤防上を走っていた京阪が地下化されたときにセットで疎水が暗渠にされました。さすがに堤防の下にトンネルを掘るというわけにもいかなかったのでしょう。
暗渠の出口の写真を掲載しましたが、
http://photozou.jp/photo/show/251552/267188848
電車は坂を登れるが水は登れない、ということで疎水の方は土被りの少ない浅いところを流れており、さらにその下に電車のトンネルがあります。
雑誌か何かで見ましたが、一般断面では暗渠とトンネルは完全に被ってるわけではなく半分くらい電車の方が東側にオフセットしています。でも駅とか幅の広いところでは完全に被っているところもあると思います。
地上時代も駅は鴨川と疎水に柱を立てて張出して作っていたくらいですので。
広い三条駅は一番厳しく、1番線は疎水に斜めに架けた橋上がのりばでした。
地下線が開通して間もない頃、初めて大雨が降った時に水位の上がった暗渠の水が蓋の施工忘れで京阪のトンネルと繋がっていた通路から流れ込み、地下線がホームくらいまで水浸しになって運休になる事故??災害?がありましたよ。2020年12月26日 07:31 キューチャン (36)
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がんちゃんさん
☆ありがとうございます。2020年12月26日 07:35 キューチャン (36)
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中古のふさん
☆ありがとうございます。2020年12月31日 00:37 キューチャン (36)
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桜日和さん
☆ありがとうございます。2020年12月31日 00:38 キューチャン (36)
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