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2019_0707_134605 JR星田駅

写真: 2019_0707_134605 JR星田駅

写真: キハ20 写真: 2019_0707_124018 津田駅

星田駅は七夕伝説を彷彿とさせる地名です。
一方次の河内磐船駅は巨岩信仰を思わせる駅名 河内磐船駅から生駒に抜ける磐船街道には
磐船神社がありここのご神体も巨岩。岩窟巡りのできる神社です。

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コメント (9)

  • kame

    七夕伝説ゆかりの地だったのですね〜 初めて知りました。友人が寝屋川公園(旧・東寝屋川ですね)に住んでいるのですが そんな話聞いたことなかったです〜

    2019年7月8日 21:09 kame (11)

  • キューチャン

    さがみこさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年7月8日 22:37 キューチャン (36)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    この辺りは平安時代は水利が悪く農耕に適さず牧場になっていたそうです。
    そのような場所なので乾し田と呼ばれていたそうですが、この付近に七夕伝説を定着させた貴族たちが星田と当て字を変えたようです。先にご紹介した機物(はたもの)神社も元々は、その近くに住んでいた養蚕布織の技術を持つ渡来人の秦一族が秦者(はたもの)と呼ばれていて彼らの信仰の社をはたもののやしろ、とよばれていたものに機物という文字を充てたものらしいですよ。
    平安貴族は駄洒落のセンスあるやん、と思います。
    七夕伝説は中国から伝わった物語ですから貴族たちはこの猟遊地、今でいうレジャーの地に七夕伝説のテーマパークを作りたかったのですかね。

    秦一族と言えば、寝屋川公園駅からほど近いところにも秦一族の名残を残す秦(はだ)、太秦(うずまさ)の地名が残っています。京都の太秦はここの渡来人が移り住んでできた地名らしいですよ。

    2019年7月8日 23:20 キューチャン (36)

  • トクさん

    七夕伝説は、50年程前まではいっこうに聞きませんでした。

    2019年7月14日 17:13 トクさん (10)

  • キューチャン

    トクさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    そうですね〜。50年前と言わず今でもこの地域に伝わる特有の七夕伝説みたいなものはないと思います。また仙台の七夕祭のような江戸時代から続く神事の延長みたいな行事もありません。神社の行事などもここ2〜30年の間に復興されたものと思います。ただ、この辺に天野川をはじめとした、それっぽい地名や寺社名が以前から点在してることも確かで、近代に入ってからの郷土研究で古文書などから七夕との繋がりが解き明かされ、町興しに活用されているようなかんじですね。
    平安時代以前にもこの地域には秦からの渡来人が多く住んでいたこと、平城京、難波京、平安京、どことも近くて古事記や日本書紀に記述が多いことが助けになっていると思います。

    2019年7月15日 08:32 キューチャン (36)

  • トクさん

    降ってわいたものじゃないのですね。詳細な説明をいただき、ありがとうございます。

    2019年7月15日 18:04 トクさん (10)

  • キューチャン

    トクさん
    コメントありがとうございます。
    高度成長期にはあまり古いものは顧みられませんものね。
    安定期に入ってものを顧みる余裕のある時代になったと言えばそうですし、
    昔ほどの元気(良くも悪くも何でもあり、みたいな)には欠ける時代のような気もしますし、いろいろです。

    2019年7月16日 11:49 キューチャン (36)

  • nophoto_70_mypic.gif

    磐船神社、星田妙見宮、星田神社、明治の神仏分離も影響してるようで、ややこしいですね(^_^;)

    2021年5月16日 15:10 退会ユーザー

  • キューチャン

    中古のふさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    神仏分離は神道の政治活用ということのようですが、それまでも武家=政治家と持ちつもたれつの寺社もあったわけですし、それ自体はありえないことではないような気がしますが、政府はそこまで思ってなかったのに世の中の流れが廃仏希釈にまで及んでしまったのは失策というか惜しいことをしてしまったなと思いますね〜。

    2021年5月16日 22:08 キューチャン (36)

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